大判例

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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)6706号・昭44年(ワ)3254号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕四、損害

(一) 治療費  九三九、八九六円

<証拠>を総合すると、中村武洪は、明治四一年三月八日生で事故当時六一才であつたが、本件事故により、頭部外傷第三型、頭蓋骨々折、頭蓋内出血、顔面挫創、左大腿骨々折、左下腿骨複雑骨折の傷害を受け、昭和四四年四月一七日、灰田病院で治療を受け、同月一八日、北野病院脳神経外科に入院し、同日、開頭術を施行されて、急性硬膜下血腫の治療を受け、同年五月二〇日、同病院整形外科に転科して骨折についての治療を受けたが、脳挫傷のため、左眼は失明し、智能も三才位の幼児程度に低下し、便意の表現もなく、質問に対しても簡単なことには応答するが、言語不明瞭となつていたこと、中村武洪は、同月二九日、左大腿骨を鋼線で牽引したうえ、同年六月一〇日、左大腿骨の整復術および骨移植術を施行されて左足を腰からギブスで固定されたが、同年七月一日、創部から排膿があり、骨髄炎を起したので、同年九月三〇日に左大腿部の掻把縫合が行われ、その後昭和四五年六月一一日までに七回位病巣の掻把手術をなされたが、全身状態不良で同月一八日、急に排尿が減少し、血液便をしたので、消化管出血の疑いで治療を受けていたところ、同月二五日からは普通食の摂取が困難となり、同年七月七日からはかゆも食べられなくなつて貧血甚しく、同月二一日午後〇時四〇分ごろ北野病院で死亡するに至つたが、直接の死因は解剖の結果十二指腸潰瘍、化膿性腎孟腎炎、出血性カタル性胃炎によるものと判明し、発病から死亡まで三二日間位と推定されること、中村武洪の右直接の死因となつた内臓疾患は事故前からのものか、事故後に起つたものかは不明であるが、中村武洪は、本件事故前には内臓疾患の自覚症状はなかつたこと、原告衛門は、北野病院に対する右治療費として合計九三九、八九六円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実によれば、中村武洪の直接の死因は内臓の病気であり、その病気が事故後に生じたものと断定することはできないけれども、中村武洪が本件事故によつて受けた傷害の程度は極めて大きく、そのために全身衰弱をきたしていたうえ、脳挫傷によつて知能および言語機能に障害を受けていたため、自己の症状を医師に適確に訴えることが不能であつて、早期に適切な医療措置を受けることもできなかつたために死亡するに至つたものと認められるから、中村武洪の死亡は本件事故によつて生じたものというべきである。またたとえ中村武洪が事故前から内臓に病気をもつていたとしても、六一才の老人に前記のような重大な傷害を負わせた場合においては、右傷害によつて受傷者が全身衰弱の結果余病を併発し、或いは従前からの何らかの病巣が悪化して死亡することがあることはむしろ通常の事態であるというべきであるから、右死亡の結果と本件事故との間には相当因果関係が存するものと認めるべきである。そして中村武洪が死亡するについて原告らに看護上の過失があつた旨の被告小田の主張を認めうるべき証拠はない。<中略>

(八) 過失相殺および損害の填補

<証拠>を綜合すると、本件事故現場は南北に通ずる車道の幅一六メートルの車道と歩道の区分のある道路とそこから東に通ずる幅一一メートル、西に通ずる幅9.3メートルのいずれも車道と歩道の区分のない道路とがそれぞれ交わる交通整理の行われていない交差点内であり、南北道路には中心線があつて、北行の車線は西から幅4.5メートルと幅3.5メートルの二車線に、南行の車線は東から幅4.5メートルと幅3.5メートルの二車線にそれぞれ区分されており、東端と西端にはそれぞれ幅4.2メートルの歩道が設けられていて、歩行者横断禁止の指定がなされており、附近の最高速度は毎時四〇キロメートルと指定されていたこと、被告小田は、加害車を運転して南から北に向つて時速約六〇キロメートルで西端の車線を進行し、交差点の手前にさしかかつた際、約34.6メートル前方の交差点の中央附近を東から西に向つて横断歩行中の中村武洪を発見したが、先にその前方を通過しうるものと考えて減速せずに約21.4メートル進んで交差点の直前まできたとき、中村武洪が前方約13.7メートルのところにきているのを認め、、その後方を通過しようとしてハンドルを右に切つたが及ばず、約13.5メートル進行して交差点の中央よりやや西側の地点で加害車の左前部を中村武洪に衝突させて約四メートルはねとばしたうえ、更に約二三メートル右斜めに進行して道路の東端の道路標識に激突して停止したことが認められ、証人長井正夫の証言および被告小田本人尋問の結果中右認定に反する証言および被告小田本人尋問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他に右認定を左右しうべき証拠はない。以上認定の事実によれば、本件事故発生については中村武洪にも横断禁止場所を横断歩行した過失があつたものというべきであるが、車の直前横断ではなかつたものであり、被告小田は、加害車を運転中、制限速度毎時四〇キロメートルのところを約二〇キロメートルこえて時速約六〇キロメートルで進行し、かつ三四、六メートル前方に横断歩行者を発見した際直ちに減速徐行していたならば衝突事故の発生を容易に避けられた筈であつたのにこの注意義務を怠り、全然減速しないでハンドル操作だけで歩行者を避けようとした過失によつて本件事故を発生させたものと認められるから、中村武洪と被告小田との過失割合は三対七とするのが相当である。 (山本矩夫)

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